2012年9月12日水曜日

米国人権団体から見たメキシコの麻薬戦争


ジョン・リンゼイ=ポランド  インタビュー

(友和会※・米国側キャラバン・オーガナイザー)

私は、和解のための運動のための調査や政策に影響を及ぼすための活動、英語では、FOR(友和会)の責任者です。友和会は、1915年に設立された国際的な主義的キリスト教主義平和団体で、常に、紛争を非暴力的な方法で解決を援護してきました。人間同士の争いを解決するために友愛と真実を基盤とするのです。良心的兵役拒否の権利や米国での黒人の市民権の戦いの際には、非暴力的な方法を推進してきました。

現在、私たちの活動は、武装解除に焦点を当てています。具体的には、コロンビアで、安全をより確固としたものにするために、紛争地帯で、とりわけ非暴力的の道を選んだコミュニティや組織を支援しています。また、米国がラテンアメリカや世界の他の国で進めている武力政策に関する調査もおこなっています。

コロンビアでの経験

私たちがコロンビアでやったのは、米国が「プラン・コロンビア」に関しての派兵についても数年間にわたり、調査してきたことです。それは以前からやっていましたが、とりわけ、2000年から2009年、2010年にかけてです。

超法規的な処刑の件については、「falsos positivos(戦果の水増し)」というものがありました。つまり、実際より、多くの戦死者があり、軍では、民間人を「他の土地で、良い仕事があるから」と言ってリクルートし、その移送先で、戦闘によるゲリラとして殺害し、それを戦果としていたのです。2002年から2009年まで3000人以上が殺害されました。

ということになると、米国が、コロンビアで行っていた軍事援助は、米国政府は、人権のために行っているものだと言いたがっていますが、実際にはどうであったのかということを、私たちは調査しています。
この10年間で、コロンビアの殺人や虐殺は、減少しています。それは、コロンビアでゲリラ軍が弱体化してきているからです。しかし、軍が、野放しになっている状態で、人々を虐殺する機関となっている状態では、その「成果」はかなりの人権を犠牲にしてのものであるといえます。

それと比較してのメキシコのケース

メキシコに関して、コロンビアとの比較は非常に役に立ちます。米国とメキシコの両政府は、コロンビアのケースを全面的な成功といい、それをメキシコと中米に適用すべきとしていますが、それは逆です。米国の援助の元にメキシコ政府の軍と警察が超法規的に行っている処刑は、コロンビアのケースより計りがたいものがありますが、たとえば、軍と警察が共同作戦として行っているフアレスやその他の都市での殺人は、米国の支援後、遙かに増加しています。この戦略は、物資だけではなく、インテリジェンス、装備、ロジスティックなどの面にわたり、とりわけ、米国のとても高いレベルでの政治権力によるものです。

平和のためのキャラバンの二国間のアジェンダ

友和会は、平和キャラバンを国境の両側からサポートした多くの支援団体の一つです。米国では、私たちはこれを、両国間での運動を作っていくための、重要で不可欠で優れたチャンスと捉えました。なぜなら、現実に、ドラッグや武器や武装化、移民の政策は、米国とメキシコの両方の政府で共有されているからです。ですから、市民レベルでの運動も二国ー多国間のものでなくてはなりません。

キャラバンに参加することで、重要なのは、参加者に、人間的な友愛や絆が生まれることです。そして、その後、私がカリフォルニアにいて、別の参加者がドゥランゴなりメキシコシティにいても、すでに構築された信頼関係のもとで行動できるからです。

米国の人々に訴えかけるためにも、キャラバンは重要でした。なぜなら、実際、多くの米国人はメキシコの現状について何も知らないのです。

少なくとも、これらの米国の政策のもとで、どれほどの人命が失われているのか、あるいは、「メキシコ人は野蛮だから」といった人種差別的なことをなんとなく思っていたわけです。しかし、実際に話を聞くことで、この問題は、犠牲者たちは麻薬売買とは何の関係もなく、むしろ、政治の犠牲者、麻薬マフィアと同様に政府の犠牲者であることに気づくのです。

米国社会は、どう反応したか?

米国には、多くの内部問題があります。たとえば、麻薬中毒です。もっとも内部問題的と言えるでしょう。もちろんほかにもあります。銃への執着は、私たちの国で多くの暴力をもたらしています。そして、人種差別の問題があり、その結果、何百万人もの有色人種の人々、特に、アフリカ系米国人の若い男性が収監されています。

また、別の問題として、(世界的に増大していると思います)市民運動が、日々、よりデジタル化して、顔を合わせることが少なくなっています。そういった運動は、より表面的になりがちです。だからこそ、地域に密着し、また、権力の当事者とも実際に対面するような関係性を作っていく必要があると思います。

そういう意味で、キャラバンはいい機会でしたが、しかし、一つの段階に過ぎません。これから組織し、未来へのコンタクトの土台を作っていかなくてはならないのです。たとえば、創造的に物事を考え、芸術を利用する。なぜなら、多くの場合、数字は人々には届きにくいのですが、アートや写真は訴えかける力が強いからです。ビデオやパフォーマンス、ビジュアルアートも重要です。また、話し合いによって、現状を変えていこうとする人たちのグループが集まり、政府が両国で広めている謳い文句(政府の言い分)を変えていくコンセンサスを深めていかなくてはなりません。

国境地帯でのキャラバンの行脚

ニューメキシコ州は、キャラバンが扱っているテーマの多くを孕んでいます。彼の地では、移民を犯罪者扱いする傾向が、とりわけ国境地帯で見られます。運転免許証一つをとっても、大変な面倒があるのです。

それから、武器密輸の問題があります。ニューメキシコ州には米国政府の許可を得た銃砲店が700軒もあります。そして、麻薬密輸業者もいます。これらすべて重要な問題です。しかも、ニューメキシコには貧困の問題があり、薬物中毒、全米でも高いレベルの薬物服用過多の問題があります。要するに、ニューメキシコには、メキシコと共通する問題があるのです。

平和のためのキャラバンの挑戦と目的

米国と同様、メキシコでも、私たちは孤立していないということを知ることが重要です。現在起こっている悲劇を簡単に終わらせることはできないでしょう。でも、私たちは集団であり、ばらばらではないことを知るのはとても重要なのです。治安の悪化による逃亡や、家族などが殺されたり拉致されたりすることで、行方をくらませることを余儀なくさせられた人たちもまた、孤立しているわけではなく、同時に、社会の一員として、何とかしなくてはならないと思っている私たちもまた、孤立していないということを知ることです。

重要なのは、変革のために、私たちは孤立していないということです。なぜなら、この挑戦は、圧倒的に困難で、不可能にも思われることだからです。しかし、私は、変わる以外にないと思います。変わるべきであると思うなら、参加しなくてはなりません。他に選択肢はないのです。自殺するか、生き残るかです。生き残るとしたら、どうやって? どう生き残るのかを選ばなくてはなりません。私にとってそれは、共に闘い、尊厳と平和のある正義のヴィジョンを反映する道を求めていくことです。

キャラバンと米国の選挙情勢

オバマの対外政策は、ブッシュとさほど変わりません。違いがあるのは確かですが、傾向としては、民主党も共和党の政策を、メキシコを含む世界の他の地域でも踏襲しています。ですから、なにか道を開かなくてはなりません。それは大変なことです。大変ですが、しかし、多かれ少なかれ、道を開かなくてはなりません。それは、アトランタでありジョージアのSOA(スクール・オブ・アメリカ;正確には西半球安全保障協力研究所。親米ゲリラに拷問・尋問方法などの教育を施し、親米軍事独裁政権の樹立・維持や反米政権の転覆を支援している)、オバマが政治家として成長したシカゴ、反麻薬闘争の歴史やそれに対する批判で有名なバルティモア、世界の金融の中心地であり資金洗浄の疑いのあるニューヨークなどです。そこでキャラバンは、種を蒔き、その種が芽生え、育つように見守ることは、私たちの責任であり、非常に重要なことなのです。

もし、キャラバンが、大統領選挙の中での立ち位置を明確にすれば、もっとメディアでも報じられたかもしれません。しかし、選挙でどちらかの側につくことのリスクの方が高いと判断しました。今の段階では、ノーです。問題は、誰が勝つかではなく、政治家たちが何をするかです。そして、同時に、米国とメキシコの両国民が、政治家の決断をどう、より正しく、平和的な方向に動かすかが大切です。